2014'12.02 (Tue)

平良の綾道⑤

まだまだ史跡が続きますよ~

「ンー(芋)ヌ主御嶽」。長真氏旨屋という人物が首里王府での公事を終えた帰途、逆風に遭い中国へ漂着。3年後の帰島の際、芋カズラを持ち帰り島中に流布したことで旨屋は「イモの神様」として祀られていると伝わるそうです。
宮古島ではたくさんの種類の芋が栽培され、販売されています。宮古島の芋栽培の起源はここかもしれないのですね~
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「船立堂」。とある伝承によると、昔々とある兄妹が久米島から持って帰ってきた黒がね、巻物を基に鍛冶屋を起こして、カマなどの農具を作り、農業が発達し豊穣の世になったことからこの兄妹の骨を船立山の納め御嶽として祀ったとも言われているようです。
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「ユーラジ御嶽」。この御嶽一帯はかつて東仲宗根村番所跡だったそうです。また神が天に上るところという伝承があるようで、この御嶽の側の四辻で結婚する前にユーラ(夕方の占い)を行い、道行く人の話が良い話であればその結婚を吉とし、反対の良くない話が聞かれた時は凶としたと伝えられているそうです。なかなか面白い占いですね~
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「仲屋金盛(なかやかなもり)ミャーカ」。父仲宗根豊見親のあとを継いで頭職に就いた仲屋金盛豊見親が、首里王府のとがめにあい自害。この事件により豊見親(とうゆみゃ)の称号は廃止され、首里王府の任命による頭制が施かれることになったそうです。16世紀初頭、宮古で起きた歴史的諸事件や世情を考える上で、この「仲屋金盛ミャーカ」は重要な史跡だと言われています。
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「中導氏仲宗根家」。中導氏は古琉球から近代初期まで、白川氏と共に宮古を二分するほどに勢力を誇った旧家だそうです。近代的でどこか洋風な雰囲気を感じ、ちゃんと表札もあります。残念ながら建物はないようです。
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「仲屋マブナリ御嶽」。仲屋金盛の娘で父の罪で首里王府に召し使われる。やがて王の目にとまり懐妊するが宮女の嫉妬に耐えかねて帰郷する途中、船頭の卑しい振る舞いや暴風で多良間島へ漂着して息絶えたという伝承があるそうです。多良間島にはマブナリを葬ったというフタツジ御嶽があるようで、多良間の方が宮古島へ来た時はこの御嶽でお祈りを捧げることもあるそうです。なるほど~
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この御嶽のすぐ横は「もじゃのパン屋」でした。真横に御嶽があったなんて全然気づきませんでした!ここのパン、美味しいんです♪日常のすぐ隣に史跡があり、今現在も旧暦で祭祀が行われているところがほとんどです。ずっと続いているんだな~と感慨深い綾道巡りでした。

やっと市役所に戻り、平良の綾道巡り(北コース)終了です。北コース、ということは平良にはまだ史跡があります。北コースほど密集はしていませんが、また日を改めて回ってみたいと思います!最後の方は駆け足だったので行けなかったところもありましたが、ほぼ回れたと思います。私達の足では丸1日掛かってしまいました(笑)と~ても晴れてた日にたくさん回れて気持ちよかったです。また行きたいな~♪

「おまけ」へ続く。

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