2014'11.28 (Fri)

平良の綾道③

平良港から荷川取漁港の海沿いにある史跡へ。
まずは「仲宗根豊見親(なかそねとぅゆみゃ)の墓」。ここは道路からも分かりやすく駐車場もあるのでいいですね。
15世紀末から16世紀初頭にかけて宮古を統治した仲宗根豊見親が父真誉之子(まゆのふぁ)豊見親のために築造したと伝えられる墓。宮古在来の「みゃーか(巨石墓)」と沖縄本島風の横穴式の折衷様式で、沖縄本島と宮古の交流を裏づける代表的な墳墓だそうです。
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中はこんな感じ。奥にはガーみたいなものがあります。広いですね~さらに中の墓室は前後二室になっているそうです。
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横に階段があり頂上まで登ると、ちょうど宮古神社の裏手でした。平良港と伊良部島が一望できて景色が綺麗です!史跡となるお墓から現在も使われているお墓(五三の桐の家紋が入ったもの)もあり、歴史を感じますね。
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少し奥まったところに「アトンマ(後妻)の墓」があります。仲宗根豊見親を元祖とする忠導氏ゆかりの墓で、同氏族の後妻(アトンマ)だけを葬ったことから俗に「アトンマ墓」と称されているようです。
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海沿いの道を進むとすぐ横に「知利真良豊見親(ちりまらとぅゆみゃ)の墓」があります。
仲宗根豊見親の三男(八重山豊見親とも呼ばれ)宮金氏一門(みやがねうじいちもん)の墓で、子孫の平良の頭・宮金氏寛富が1750年頃造ったと伝えられているそうです。
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さらに道沿いに進むと「恩河里之子親雲上(おんがぁさとぬしぺーちん)」の墓碑があります。旧藩末期首里王府から宮古に派遣された在番役人の墓で、彼の任期中には「琉球国が琉球藩」となり、「ドイツ商船ロベルトソン号宮国沖遭難」などの事件が起こったそうで、現存する墓碑では比較的古いものだそうです。
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さらに道なりに進むと「真玉御嶽(まだまうたき)」があります。
「御嶽由来記」によると男女神かねとの・まつ免かを祀り、子孫繁栄の神として崇敬されているようで、ユークイ願い(豊穣祈願)なども行われるそうです。「玉」がつくだけに門には大きな玉がありますね~ここもガジュマルなどの木々に覆われていました。
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やっと半分ぐらい回れたかな?足が張ってきました(笑)

④へ続く。

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